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映画「三度目の殺人」感想・考察(ネタバレ有り) / おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ

是枝裕和監督作品、映画「三度目の殺人」を観てきました。未だに頭の整理がうまく出来ないので、久々に文字に起こしてみようと思います。

 

この映画、一言で言えば ”大傑作” です(断言)。面会室でのアクリル板の光の反射を利用した演出、格式高い法廷のセット、そして北海道の雪景色などなどの美しく強烈な映像表現、役者陣の熱演(役所広司が凄い!広瀬すずの演技にもゾクリとさせられたし、主演の福山雅治もカッコよかったー)、印象的な音楽、そして「罪」、「裁き」といった重いテーマ、どれをとっても素晴らしかったです。ただ、真実が最後に明かされるという、わかりやすいエンタメ嗜好ではないので、そこが評価の分かれどころなのかな−と思います。

 

 僕は映画のパンフレットをめったに買いませんが、今作では珍しく買ってしまいました(福山雅治と是枝監督のインタビューでは、お二人ともかなり興味深いことをおっしゃっていました)。それだけ観終わった後の衝撃というか、余韻が半端なかったです。

 

 

以下ネタバレ有り

 

 

 

 

 

考察:タイトルである「三度目の殺人」とは?

 

ここからはタイトルである「三度目の殺人」について考察していきたいと思います。エンドロールになって「あれ?三隅、殺人二回しかやってないじゃん」と思った人は何人かいるはず。僕もその一人です。これは人によって解釈が異なるところだと思いますが、頭と気持ちの整理の意味も込めて、自分なりに解釈をしてみたいと思います。

 

 

1. 劇中における「三度目の殺人」=重盛による三隅の殺人

初め重盛は真実を追い求めず、数々の法定戦術を駆使し、死刑から無期懲役への減刑を目指していました。しかし、真実を追い求めようとし、三隅の証言に忖度したたために、三隅は死刑判決を受けてしまいます。三隅が実際に死刑が処されるかどうかは置いておいて、これは重盛による間接的な殺人であると言えます。

 

 

2. 三隅による「三度目の殺人」=重盛の弁護士人生への影

ラストカットは、重盛が十字路で立ち止まっている姿を俯瞰したものでした。この作品で十字は墓標であり、裁きの象徴です。そういった意味から、このラストカットはまるで重盛の今後を暗示するようでした。

「怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ。」− フリードリヒ・ニーチェ善悪の彼岸』より

 ニーチェの言葉のように、三隅という怪物の心を覗き込んでしまったがために、重盛は三隅の闇にとらわれてしまったのではないかと思いました。

劇中で度々描かれていたように、二人は共通した部分(北海道出身、娘を持つ父親、子供の頃に裁判官に憧れていたなど)を多く持っていました。また、三隅は空虚な入れ物のようだと言われたように、弁護士という職業もまた、依頼人の希望叶えるために弁論を行う依代(入れ物)であるととらえることもできます。重盛は、これまでシステマチックに、つまり真実を見ること無く、被告人が罪と向き合う時間を与えないような弁護を行ってきましたが、この事件を機に彼の価値観は大きく変わってしまったのではないでしょうか。

 

人生を狂わせる程の影響、これはある意味殺人なのではないないかと解釈しました。

 

 

 

この記事を書いている途中で、死刑判決を受けた和歌山カレー事件の林真須美被告も無罪を主張し、再審を求めていることをふと思い出しました。この事件も真実は未だ藪の中・・・